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2013.11.23 (Sat)

いい夫婦の日(遅刻)「日照雨」後日談の後日談。

「日照雨」で、いい夫婦の日。
でも遅刻……。
11/22のうちに、UPしたかったのになぁ。


急造にてざっくりざっくり。
推敲が足りませんが、そこら辺はご愛嬌ってことで。

「日照雨」後日談の、またまた後日談になるのかな?


お楽しみ頂けましたら幸いでございます。


11/24追記。
サイトTOPの拍手お礼ページに、移動しました。

【More・・・】

 私の名は、伯父の名から一文字頂いている。
 生母が名付けた。
 新三郎という。
 名の通り、私は生家谷川家の三男に生まれた。
 ほんの小さな頃の名はもう忘れた。
 その頃、跡取りの子に恵まれなかった伯父夫婦の養子にと、母は望んでいたようだ。
 伯父は、いや、今は義父である人物の名は、水城新兵衛という。
 私は、彼の長女の多恵を娶り、水城家に養子に入った。

 妻の多恵に、聞いた話をしよう。


 ちょうど多恵が義母の胎内に宿った頃、義父は藩領の北端に代官として赴任することが決まった。
 城下からは早くて二日といった距離である。
 身重の義母は、それでも義父について行くと言った。
 だが、肝心の義父が反対をした。当然だろう。
 年齢の離れた夫婦である。義母はそのとき十九歳だったが、義父は既に三十五歳になっている。その歳で、初めて自分の子を授かったことになる。
 義父は二度目の婚姻で、前の妻は事故で亡くなったらしい。五年の夫婦生活の間に、子はなかった。
 それ故に、懐妊した義母を労ることは尋常ではなかった、という。
 謹厳で物静かな義父が、義母の挙措動作一つ一つを、はらはらと見守っていた。廊下を歩くときも、掃除をするときも、料理をするときも、義母の側に付いていたらしい。十月十日を経て確かに身二つになるまで、片時も安心できないという気持ちだったのだろう。
 むろん、そのとき義母のお腹にいた多恵は伝聞で知っているだけだ。

「誰に聞いた?」
「畑野のお祖母様と、谷川のお義母様と、お咲にも」
 多恵が、屈託なく笑う。
 谷川の義母とは、私の実の母のことである。母にとって水城家は生家である。
 私が水城の家に入る以前から、母は何かと生家に出入りをしていたらしい。武家の妻としてあまり褒められた行いではないが、そういう女性ゆえに仕方が無い。


 そのころの義母には、重い物など決して持たせず、廊下の拭き掃除なども義父が禁じた。
 義父の着替えの介添えなども、拒んだ。
「少しくらい動きませんと……。あまり動かないのも、腹の子の障りになると聞きましたよ、それに、寂しうございますもの」
 義母にそう言われたときに、義父がどんな顔をしていたのか見てみたいと思う。
 少しでも、夫の側で世話をしたいのだと、義母は言う。

 義父と義母が結ばれるには、様々のいきさつがあったらしい。
 ともあれ、常の世間並みの夫婦より、ずっと仲睦まじいのは間違いない。
 義母はひたすらに夫を見つめていた。私が嫉妬を覚えるほど、二人が見つめ合う眼差しは温かく、また熱く、優しかった。
 まるで、ずっと恋をしているような、そんな瞳を向け合っていた。



……続きは、サイトTOPページの拍手お礼画面にて……

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